2020年2月○日
頼りになる家族の存在
前日に事故に遭ったことを夫が義理の両親へも連絡をしてくれていて、私も義理の母と連絡をとっていた。
『ごめんなさい』とLINEで謝ると、
『生きていてくれてありがとう』と言ってくれた。
『明日とにかく病院に行きます』とも。
また、この日実の姉も電話をくれて、
「今日午後は半休をとって仕事終わりにお見舞いに行くから何か必要なものはないか」と。
また改めて入院に必要だったもの、役立ったものを書くが、この時は
- 化粧水
- 歯ブラシ
をお願いした。
姉はフルタイムでこども服のデザイナーをしながら、女の子、男の子の子育てをしている、ママだ。
かなり忙しく毎日大変だろうに弱音は全く吐かず、こういう時のフットワークも軽い。
身内ながらに尊敬する。
大変なこともやってみなきゃわからないというスタンスらしい。
心配性でやる前から弱音を吐く私とは大違いだ。
また、この日は一度東京の自宅に実の両親(居住地:横浜市)、義理の両親(居住地:鎌倉市)が集まり、これからのことを色々と話し合ってくれた。
その後夫がこどもと自宅に残り、実の両親と義理の両親がお見舞いにきてくれるということになった。
そして先に姉がお見舞いにきてくれた。
- 化粧水(ポンプ式)
- 歯ブラシ(携帯用)
- ふりかけ(のちに書くがこれが本当に助かった)
- おやつ(複数個)
を買って持ってきてもらった。
前述したように、私は化粧水、歯ブラシ、としか言っていないのに、気を利かせて化粧水はポンプ式にしてくれたり、頼んでいないふりかけを買ってきてくれたり…本当に助けられた。
これについては〝入院に必要だったもの、役に立ったもの〟〝入退時の食事〟として別記事にまとめたいと思う。
そして両家の両親も見舞いに来てくれて、この日の見舞い客は5人となった(まだこの時はコロナによる面会制限も緩く、みんな出入り自由だった)。
私も車椅子に乗りデイルームへ行き、みんなで話し合った。
話し合った内容というのはもちろん、2ヶ月の息子のこと。
とりあえず2月中はシフトのようなものを組み、夫と息子が住む自宅に、代わる代わる両家の両親が行き、息子を一緒にみるということになった。
私はできるかぎり預けられる保育所を手当たり次第あたる。
また夫は職場に連絡をし、育休を3月いっぱいまで延ばせることになった。
職場はすぐに了承してくれた。理解のある職場で本当に助けられた。
息子をみるためのシフト表が書かれたメモを
「みんなで見るから安心して」と渡してくれて、デイルームでまたしても泣いた。
私は本当に恵まれている。
はじめてのリハビリ
デイルームに家族といると1人の女性が話しかけてきた。
「手のリハビリ担当のものです」と。
手と足で担当が違うのか!と思った。
これをきっかけに家族も、じゃあそろそろと帰っていった。
病室へ戻り、先程のリハビリの担当の人と改めて挨拶をした。
手の担当の方は作業療法士(OT)さんだ。
左肘はシーネで固定されているのでまだ動かせないが、この日は左腕の他の部分、肩や手の指などを動かした。
まだ1日なのに浮腫もあるためかカチカチで、指も肩も少し動かすのがやっとだった。
ほどなくして足の担当の方がベッドにやってきた。
足の担当の方は男性の理学療法士(PT)さんだ。
この病院では手はOTさん、足はPTさんが主に担当していた。
足のリハビリでは脚を持ち上げたり、シーネを外し、足首を動かしたりした。
まだ手も足も担当の方の力を借りながら、固まらないように少しずつ動かしていくといった感じ。
この2ヶ月間の入院で平日は毎日リハビリがあったが、気分転換になって好きだった。
ちょっとしたリハビリもできて、家族と息子のことを話せて少し安心できたからか、この日は前の日よりも眠ることができた。