2020年4月○日
入院中のリハビリ最終仕上げ
私は退院後実家(横浜)で息子(生後3ヶ月)と一緒に療養することが決まっていたので、外来のリハビリは実家近くの病院で行うことに決めていた。
なので退院したらこの病院でのリハビリは終わり。
整形外科はリハビリと違って月一くらいの通院なので、引き続きこの病院へ通う。
平日の日中はずっとリハビリ室で過ごしていたので、リハビリ室で働いている全理学療法士(PT)さん、全作業療法士(OT)さんが知り合いになっていた。
また、リハビリ室で先に退院した患者さんとも会えていたが、退院するとその機会も無くなってしまうのだなーと寂しくなった。
退院後は入院中よりももっと色々なことをしていかなければならない。
退院までに少しでもリハビリが前進できるようにラストスパートを頑張った。
足のリハビリは歩くことに加え、階段の上り降りも練習した。
片足で一段ずつであればなんとか痛みに耐えながら階段の上り降りができた。
階段の上り降りで痛みが強くでて大変だったのは、上りよりも下りだった。
左足で踏ん張るのが厳しかったため、右足で踏ん張って左足を先に出し、一段降りてまたそれを繰り返す…
自分が骨折するまで階段は上りの方がキツいと思っていたが、骨折してはじめて下りの方が足に負担がかかるのだと知った。
そして相変わらず足首周りは痛いが、だんだんとマシになってきたため、これなら杖(松葉杖ではなく一般的な杖)がなくても歩行できるかもと思い、借りていた杖をリハビリ室に返却した。
肘のリハビリも一歩前進して、ジェットバスでしっかりと温めて柔軟が増している時だが、肩に指先が触れた。
最初は全然曲がらなくてもう肩に手がつくことはないのでは、と心配していたが、つけることができて担当OTさんと一緒にものすごく喜んだ。
伸ばしの方も良くなって、0°(まっすぐに伸びている状態)にまでなった。
ちなみに私はもともと普通の人よりも腕がそるので、これでも右手と同じ状態まで回復したわけではない。
ただ、0°まで伸びていれば、伸ばしに関しては日常生活に困ることはないようだ。
主治医の先生も可動域の変化を確認してくれて、
「ここまで可動域が改善していれば、コロナも流行っているし無理して病院でリハビリしなくても、自宅での自主リハビリで大丈夫かもしれない。紹介状は作るけど無理して行かなくてもいい。」
と言ってくれた。
退院
退院前の病室の患者さんたちは比較的お若い方が多く、退院前日の夜はみんなで楽しく話しながら過ごした。
しかし夜はこの日に隣のベッドに移動してきた患者さんのいびきがなかなかひどく眠れなかった。
『まあ明日からは家(実家)で眠ることができるからいいや。』と病院での最後の夜を過ごした。
翌日はとてもいい天気。
退院日なのでリハビリもなく、10時の退院時間までゆっくりと過ごした。
↑これは入院してすぐの頃、同じ病室のAさんがお知り合いに私の事を話して、そのお知り合いが元気づけてくれるために書いてくれたもの。こどもの手を親が包み込む絵。ずっと病室に飾っていた。
また、お世話になった色々な方に挨拶して回りたかったが、この頃はコロナの感染状況が更に深刻になっていて、他の病棟に行くのも注意されるようになっていたのでできなかった。
2ヶ月弱過ごした病室のベッド周りの荷物は気づいたらすごい量になっていて、足も手もまだ完治していないのでとても一人では持てない。父が車で迎えにきてくれた。
IKEAの青い大きな袋などにまとめた荷物を父に持ってもらって、病棟の看護師さんに挨拶して無事退院した。
外に出るのは本当に事故以来。
『ああ、これが外の世界。』と少し感動した。
駐車場も難なく歩くことができ、車に乗り込み、まずは自宅(東京)に行った。
これからしばらく実家(横浜)で療養するために必要なものを取りに行くためである。
必要なものはリスト化していて、それを見ながら袋に詰めたのでそこまで時間はかからなかった。
久しぶりの我が家はなんだか明るく感じた。
再度車に乗り、実家に帰った。
この頃には3ヶ月半くらいまで成長していた息子との感動の再会はまだ。
この日も義実家がみてくれていて、翌日迎えに行くことになっていた。
実家に帰ると病院にいる時よりも足の痛みを感じず、もっと楽に歩けるようになっていた。
気分的なこともあったのかもしれない。
そして実家の近所にある大好きなケーキやさんのケーキを食べて退院できた喜びをかみしめた。